走りの感覚

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自動車の使命は、人間や荷物をいかに速く遠くまで運ぶこと。さらにそれをいかに安価に経済的に行なえるか、そして一番重要なことは安全にそれを完(まっと)うできるかということである。
現在自動車の技術というと、自動運転や電気自動車などの最新技術が話題を呼んでいる。しかし、自動車の基本性能である「走る、曲がる、止まる」……俗な言葉で言うと『走り』の古典的な技術も、特に日本の自動車会社においてはさらに磨きをかける必要があると思う。そして、前者の最新技術にも少なからず関わりがある。
『走り』という言葉には、二つの技術がある。一つは動力性能で、車が何キロワットの動力源を持ちいかに速く走れるかという技術、もう一つがいかにうまく曲がれるかという技術である。うまく曲がれる技術は、運転した時の安心感や乗り心地、そして止まるということにも関与し、車の安全性に深い関わり合いを持つ。
さらに、車の加速感が優れ、自由自在に車を旋回させることができることは、人間が「走っていて気持ちが良い。面白い。感動する」などと感じる本能をくすぐるもので、『走り』には数値には表せない価値がある。
しかし、この「走って気持ちの良い」感覚は人によって違うということが言える。そんな例をご紹介する。

2017の東京モーターショーに行き、そこでMR−Sの保有者にお会いした。10年ほど前であるが、著者はMR−Sの最後のチーフエンジニアとして『走り』の改良を行なった。そのマイナーチェンジで改良を行なったMR−Sを、その方は前期型のMR-Sから買い替えられたとのことで、喜んでいただけたと思いきや「最初のMR−Sの方が面白かった。マイナーチェンジ後は普通の車になってしまった」と言われた。隣にいたグランプリ出版の方に慰めてはいただいたが、愕然とした。


トヨタMR-S(後期型)

「マイナーチェンジ前はどういうふうに良かったのか」と聞くと、「前の方が良く旋回した。マイナーチェンジ後は安定していて良く曲がらない」と言われた。
実は、MR−Sのマイナーチェンジ試乗会でモータージャーナリストに同じようなことを言われたことがある。ラリーやF3のレーサー出身のジャーナリストからは「なぜ面白くない車に改悪したのか」と厳しいお言葉をいただいたことが頭によみがえった。もちろんその他のジャーナリストからは絶賛の言葉をいただいたのであるが……。
実際にはハンドルを回してから車が旋回するまでの時間が短いのはマイナーチェンジ後で、正確に穏やかに曲がる。改良前の車の反応は遅いが、急に大きく曲がりだすため人によって良く旋回する感じがするのだろうと考えられる。
もちろん改良前の車でも通常の運転で問題を感じることはないのだが、先に述べたような旋回性能であったので、限界性能により近づいたテスト運転などでは、自分で乗って「不安定で怖い」と感じたことがあるし、ミッドシップの特性ともいえるスピンのしやすさも加わることから、何としてもより安定性を確保した車にしなければと思い、改良に至った。
また、MR-Sは欧州でも販売されており、営業部門からも安定性のさらなる向上、『走り』の性能とは異なるが、衝突性能の強化のために車体の強度を上げて欲しいという要望があったため、改良を推進することになった。
この感覚の違いは何だろうとは思いつつも、今まであまり深く考えてはいなかったが、今回の指摘を受け考察することにした。

2016年に出版した拙著『走行性能の高いシャシーの開発』でも紹介したが、著者は『走り』の改良は車体(鉄板ボデー)の剛性、つまり車体が硬いか柔らかいかがキーポイントだと考えている。
ではMR−Sの改良前と、改良後の車に対する感覚の違いと車体剛性の違いはどのような関係があるのか著者なりに考えてみた。

図1は車体の骨格を上方から見た模式図で、車のハンドルを切って右旋回しようとするところである。

図2に旋回する前のフロントタイヤ付近の車体とサスペンションとタイヤの概略図を示す。タイヤを支えるサスペンションは車体の骨格であるフロントサイドメンバーの下端に接続されている。
図1のように右旋回しようとタイヤを回転するとタイヤに横力がかかり、サイドメンバーの捩り剛性が低いと図3の破線のようにサイドメンバーが捩れる。
ドライバーは思い通りに車が右旋回するように、サイドメンバーが捩れる分まで余分にハンドルを回す。

図4に捩れ線図を示す。捩れ角と捩れトルクの関係を示す。
横力はサイドメンバーの塑性変形(力がかからなくなっても元の形に戻らない)を起こすまでの大きな力ではないため、サイドメンバーは図4の弾性変形内(力がかからなくなれば元の形に戻る)で捩れる。
車がある速度で一定の旋回半径になるとタイヤ横力によるサイドメンバーの捩りトルクに対する一定の角度で飽和する。
このA点からB点までの間がサイドメンバーを捩る分、ハンドルを余分に回している間である。B点に達するとサイドメンバーを捩る力はそれ以上必要なくなり、余分にハンドルを回していた分タイヤ切れ角が大きくなりすぎているため、ドライバーが思っているよりも急に車が旋回しだす。
この現象がハンドルを回してしばらくしてから急に車が旋回しだす原因だと考えられる。

車が旋回しすぎるとドライバーは逆方向にハンドルを戻す必要がある。実際の運転では常に車は右に左に旋回することや、まっすぐに走っていても泥の凹凸によりタイヤが常時横力を受けていて、図4の弾性域内A〜Bを往復している。
捩れ剛性の低い車はこのA〜Bの角度θが広く、ドライバーが余分にハンドルを回す量も、それを修正するための逆方向にハンドルを回す量が大きく、一方破線で示すように捩れ剛性が高いとB点がB’点に移動するため同じ捩りトルクでもA〜Bの角度θ’が狭く、余分にハンドルを回す量も、それを修正するための逆方向にハンドルを回す量も小さくなる。よって、車は安定した挙動になる。
この考察は車体の骨格であるフロントサイドメンバーの捩り剛性に着目して話を進めたが、サスペンションやハンドルの構成部品、タイヤホイールなど、すべての剛性にも同じようなことが言える。実際にどの部品も剛性を高くした車の方が正確な旋回ができ、安定性も良くなることは著者の担当した車の開発の中では証明されたし、そういう車の開発に心がけた。
安全な車という視点では正確で安定した『走り』の車が良いと思うが、『走り』の感覚ともなると皆それぞれ好みが違うのが面白い。車造りの難しさであり、醍醐味でもある。

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