2025年4月29日(火・祝)、モビリティリゾートもてぎで開催された「グッドオールデイズもてぎ 2025」の様子と、その一環として実施された「CB400FOUR 生誕50周年記念トークショー」についてレポートします。今回はその第2回で、トークショーを中心にレポートします。(レポート・写真:入江一徳)
<CB400FOUR 生誕50周年記念トークショー>
名称:特別企画「ホンダドリームCB400FOUR 生誕記念トークショー」
開催日時:2025年4月29日(火・祝)午後12:30開場(展示)、トークショー13:00~14:00
場所:モビリティリゾートもてぎ コントロールタワー1Fブリーフィングルーム
この第2回レポートは、このトークショーの裏方として参加させて頂いた私の目線で捉えさせていただきました。
■まずはトークショーのテーマの概要は以下の通りです。
「1974年12月4日本田技研工業から発売された「ホンダドリームCB400FOUR」は、今年50周年という大きな節目を迎えることとなりました。この半世紀にわたる同バイクの存在は、国内はもとより、海外においても絶大な人気を博し、いまだその人気は衰えず、新しい若いファンをも創り出しています。それは当時から現代に至るまで「HONDA」というブランドの一角を担う重要な柱の一つと言うに相応しい存在となっているものと確信するものであります。以上のことを鑑み、永年にわたるご愛顧を、このトークショーを通じてファンとともに寿ぎ、世界中におられるオーナーに感謝の念を込めて、本イベント開催を企画するものです。」
「このイベントの目的とするものは、歴史を超えてファンを大事にするというカスタマーファーストの考えを世界に顕示し、二輪における世界的なトップブランドたる「HONDA」のプレゼンスをより向上させることを企図するものです。」
CB400FOUR(以下CB400F)のトークショーが開催されるのは今回が初めてではないでしょうか。特に50年の歳月を経て、パネラーとして当時の開発の中心メンバーであり、車体設計の重鎮としてLPL代行を務めながらチームを支えられた先崎仙吉氏(写真右から2番目)と、新人でありながら造形室のメンバーとしてCB400Fのメインデザイナー故佐藤允彌氏の直下で任にあたられた中野宏司氏(写真中央)が登壇された点は特筆すべきものでありました。開催前にCB400Fクラブミーティングの展示車前で記念撮影を撮らせて頂きました。
トークショーは、司会に元本田技研工業本社広報部の高山正之氏(左端)、CB400Fエキゾーストシステムを製作された三恵技研工業の関口好文氏(左から2番目)、筆者(右端、昨年『ホンダドリームCB400FOUR CB400Fを哲学する―魅力の根源を探る』を刊行)などと、メーカー、関係会社、ファンという構成で実施しました。
開場後トークショー開始まで30分ほど時間がとられていたのも、展示してあるものを来場者に見て頂こうとするもので、50周年という節目の記念行事に相応しい品々が展示してありました。ひと際目を引いたのはCB400FOUR(398cc)の実車です。ご提供者シオハウスさんの謹製でありファン垂涎の車両でした。
また、2024年に純正として復刻された三恵技研工業製のエキゾーストシステム、青島文化教材社のご協力を得て、5月に発売される予定のCB400F完成車 1/18モデル3種の展示、その他にもCB関連の絶版図書、当時モノのカタログ、デザイナー佐藤允彌氏の絵葉書、「CB400F を哲学する―魅力の根源を探る」の自費出版本などを数多く展示しました。
開始前も終了後も展示コーナーは賑わいをみせ、来場者にインタビューすると、この日のために北海道や沖縄から来られた方もおられ、熱心なCB400Fファンが全国におられることを再認識させられました。
■トークショーの定刻には会場は満席となり、後方、両脇の壁には立ち見が出るほどの盛況ぶりでした。各パネラーの自己紹介の後、1973年4月から企画指示がなされた「CB400開発計画」の概要説明を導入部分として、これまであまり報道されてこなかった内容が披露されました。それを受ける形で組織面から先崎氏が発言。このプロジェクトにおける課題、そしてどのように解決していったかが語られました。特にリベンジプロジェクトであったにも関わらず、当時ホンダの各所で、数多く進められていた各プロジェクトのチームからも、うらやましがられるほどのチームワークであったとのお話。それは、率いてこられたLPL故寺田五郎氏のリーダーシップと、そのチームメンバーを引き付ける手法に起因しており、その後の先崎氏にとっても運営の手本ともいうべき経験となったとのことでした。
一方、中野さんからは、CB400F 1/1モデル構築時における作業現場の苦心と工夫の模様が語られました。中でもクレイ粘土の下処理やエキゾーストパイプ形状の仮組について、蛇腹状の金属を探してくるといったアイデアに加えて、排気系という機能と美しさを両立するための曲げ角度の見極めや管の返し、そしてチャンバー形状の融合調和が、確立されていく様子が鮮明にイメージされました。そこにアートというに相応しい製作力が求められていたことが分かりました。「造形」と言えばデザインばかりが冒頭に来るのですが、かなり幅広いモノづくりのセンスが要求されることから、その役割が浮き彫りになったと感じました。
今回のトークショーは戦績や勝つためのノウハウといったものではなく、モノづくりの本質に迫るお話を、開発者から直接お聞き出来たことがとても貴重なものでした。時間を許されれば、まだまだお聞きしたいモノづくりの本質が見えてくるような気がいたしました。ひいては開発者のお話の中にCB400FOURの魅力の根源が凝縮されていることも感じた次第です。
■当時のホンダは協力会社と二人三脚。その一社である三恵技研工業の関口氏からは、ホンダの成長とともに求められる加工技術や生産技術について諸先輩が取り組まれてきた苦難の経緯や、2024年に復刻となったエキゾーストシステムのエピソードが披露されました。特に開発プロジェクトは1973年12月にはホンダ内部で公式には開発完成との内部コンセンサスが得られていたものの、肝となるべき彼のエキゾーストシステムの生産技術はその時点では確立しておらず、加えてテーパー状のマフラーロール成形やマフラーエンド部分の半自動溶接の処理についても議論が重ねられていたことが分かりました。つまり、生産現場では実際のラインに部材が揃うまで、試行錯誤が続けられていたことが生々しい話として伝えられました。トークショーならではのお話でした。
■そして、後半部分においてこの開発プロジェクトをリードされた、LPL故寺田五郎氏とメインデザイナー故佐藤允彌氏の印象を先崎さん、中野さんがそれぞれに語られました。先崎さんによる寺田さんの印象は「尊敬できるエンジニアであると同時に私たちを育ててくれた教育者でもあった」とのこと。また、中野さんにとってみて佐藤さんは所謂「師匠」というより「神様のような存在」であり、デザインにおける信念や拘りは強く、そして即行動という方であったとのことでした。つまりお二人は、上司というより恩人という存在であり、人生の大きな「求道者」的存在であったことが想像できました。
■トークショーも最終盤に入り、スペシャルゲスト登壇ということで、CB400Fのメインデザイナー故佐藤允彌さんのご子息で現在、近畿大学 文芸学部 芸術学科准教授でいらっしゃる佐藤好彦さんからの50周年を祝うメッセージが、「声の出演」ということでインタビュー音声が披露されました。
ファンの皆様に対する祝辞と同時に「CB400Fには知性を感じ、そのことが乗る人たちにとっても、眺めて楽しむ人たちにとっても魅力となっているのではないか」という独自の感想を述べられました。そういう視点もあるのかとCB400Fの新たな魅力の一端を示唆して頂いたようで、お父様に対する尊敬の念とも相まってバイクの個性というモノが極まっていくのだと感じた次第です。
■また、もう一人のスペシャルゲストとして、ホンダドリームCB750FOUR のエンジン設計者であり、ホンダCB350FOUR、CB400F のエンジン設計者でもある白倉克(まさる)氏からも声のメッセージがありました。CB400FOUR のエンジンについて「 当時完璧なエンジンとしてリリースした」と言い切られたところにエンジニアとしての矜持を感じました。更にその後、クラッチの改良について改善の余地があったのではないかという包み隠しのないお話に、更に良いものを世に送り出そうとする技術者魂を強く感じた次第です。
■トークショーはあっという間に時間を迎え、最後に先崎氏からゲストパネラーを代表してご挨拶がありました。その中で「愛するCB400FOURに対してご支援に対して光栄に思っておりますが……ホンダを愛してほしいのです。現役の若い人たちが一生懸命作るバイクを是非楽しんで頂ければと思います。」というご挨拶に感動しない人はおられなかったのではないかと思います。後輩たちに対する想い、そしてホンダに対する深い愛情、このことがホンダを世界一の二輪メーカーに導いた大きな一つの要因ではないかと感じました。時代の節目となる周年記念のトークショーはあっという間でありましたが、この会場に足を運ばれ開発者のお話を直接お聞きになった来場者の心には、しっかりと熱いものが残ったのではないかと確信いたします。いわば、そこにこそCB400FOURの魅力の根源があるのかもしれません。
レポート・写真:入江一徳