前回からの続きです。フォードというブランドについて、日本から撤退してしまうのを契機に、少し考えてみます。1960年代のあるアメリカ映画(「卒業」)に、興味深い形で「フォード」が出てきました。 フォードの歴史的オフィシャル写真を紹介しつつ、見ていきます。
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外国のブランドは大なり小なり皆そうですが、フォード・ブランドがどんなものか、本当のところは、日本ではなかなか理解しにくいと思います。
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《 1948年に登場したフォードFシリーズ(Fトラック)。世界の自動車全体の年間最多販売車種として長年君臨。いかにもアメリカを感じさせる広報写真 》
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フォードが世界的な大衆車であることは、誰でも認識があるはずです。しかし大衆車も、世界にはいろいろあります。たとえば日本のメーカーはすべて大衆車ブランドが基本だし(レクサスやアキュラといったブランドが近年は育っていますが)、世界でも現存する巨大メーカーは元来すべて大衆車ブランドといってよく、中でもフォルクスワーゲン、シトロエン、シボレーなどは、「大衆車」として脚光を浴びたメーカーでした。ただ、1908年から単一車種で1500万台を生産したT型フォードで名を成したフォードは、その中の圧倒的な元祖であるわけです。
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《 T型フォード。初期の頃のモデル 》
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かつて大衆車とは、大量生産によって低価格を実現したところにカギがありました。しかしながら、上記のフォルクスワーゲンもシトロエンもシボレーも、そしてフォードも、ただ安いだけでなく、革新的で高い技術を採用してクルマづくりをしたのであり、そのためにライバルのなかで抜きん出た存在になりました。大量生産品という言葉から連想される「安いだけのモノ」とは、わけが違っていました。その伝統は、生き残った各メーカーに今もそれぞれ生きており、フォードの玄人的なクルマづくりにも生きているわけです。
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《 クーリッジ大統領らとの集い。左から3人目がヘンリー・フォード。その右はエジソン。ヘンリー・フォードはもとはエジソンの会社で働いていました。ヘンリー・フォードは大統領選にも名があがる存在だったことも有名で、第1次大戦時に反戦の船旅を企画するなど、いろいろ政治的なエピソードもあるおもしろい人物でした。とにかくアメリカにおいて世界を変えた人物として(ドナルド・トランプとは桁違い)、世界的な超有名人でした 》
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では「フォード」は、ほかの「大衆車」となにが違うのか、これはやはり説明が簡単ではありません。しかしなにかがフォードは違うのだと、思わせるものがあります。大衆車は、万人に好まれなければいけませんが、単一車種でT型フォードを1500万台つくった実績のあるフォードは、最大公約数的なクルマづくりの総本山といえるかもしれません。さらに、万人から愛されるために、親しみのわくキャラクターが生まれたかもしれません。アメリカ人の生活を変えた実績のあるフォードは、質実剛健でカジュアルというアメリカ文化の典型となったかもしれません。
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《 1960年代にフォードはヨーロッパのルマン24時間に挑戦して圧勝。2016年に復帰して、クラス優勝したのは見事 》
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《 リー・アイアコッカが立役者のマスタング。1964年ニューヨーク博で発表展示されたときの写真 》
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フォードが特別、と思うとすると、それはフォードが、世界史上に登場するレベルの「伝説上の名前」だからかもしれません。名前に目がくらんでしまうわけです。フォードについてまともに考えようとすると、結局110年以上の歴史を追ってすべての面を検証しなくてはならず、ヘンリー・フォード以下、歴代の経営陣の系譜をたどったり(エドセル・フォード、フォード2世、ロバート・マクナマラ、リー・アイアコッカなどのドラマチックなストーリーは有名です)、1930年代のV8、1950年代の失敗作エドセル、その後のベストセラーのファルコン、マスタング、フィエスタ、トーラス、Fトラックなど、過去の歴史的モデルについて見る必要があるかもしれません。
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それにしても、フォードを語るのはむずかしいと感じます。言ってしまえばフォードはつまり「ふつう」です。しかし大衆車のなかの大衆車というべきフォードは、その「ふつうさ」が特別である、といえるかもしれません。そんなことを考えたのは、先日見た映画「卒業」に出てきたフォードがおもしろかったからです。いや、フォードは出てはこなかったのですが‥。見方を変えてここから、「卒業」を素材にフォードを考えてみます。
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【映画「卒業」のフォード】
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「卒業」は、ダスティン・ホフマン演じる若者ベンが、映画のラスト近くで教会に花嫁を奪いに行くシーンがあまりに有名で、ベンが赤いアルファのオープンに乗っていることもクルマ好きにはよく知られています。映画としては、カウンターカルチャー全盛期の時代のアメリカの作品として(1967年)、21世紀の今の目で見ても新鮮で、見ごたえがあります。
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「フォード」が出てくるのは、こんな部分です‥。成績優秀で大学を卒業したベン(ダスティン・ホフマン)は、情事の相手であるロビンソン夫人(アン・バンクロフト)と話しているなかで、夫と結婚をしたのは子どもができてしまったからだったと聞かされます。ちなみにその子どもとは、ラスト近くでベンが教会に駆けつけて叫ぶ、あの花嫁のエレーンなわけなので、この辺りはストーリー展開上わりと重要な部分ということになります。ベンはさらに、ではその子どもができたのは、どこでだったのかと、しつこく聞き、夫人は結局、それはクルマの中のことで、車種はフォードだった、と言わされます。そこでベンは、ベッドの中で1人で大うけして笑います。フォード!!そいつは傑作だ!、という感じで‥。
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《 「卒業」が制作されていた頃の1966年型のフォード 》
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実はこの部分、日本語字幕では「普通のクルマ」と訳されていました。気になって確認したところ、案の定というか「a Ford」だったわけです。自動車文化が一般に普及したというべき近年は少し変わってもいますが、洋画の字幕では、車種名が省略されていることは多々あり、この映画でもそうでした。ちなみにこのとき見た字幕は、NHK BSで最近放送されたものなので、近年訳されたものだと思います。アメリカ人なら誰でも、「フォード」という記号から伝わるものがあるわけですが、日本では「フォードで」としてもよくわからないので、単刀直入に「普通のクルマ」と意訳したのは妥当なのだろうと思います。ただその結果「フォード」から伝わるニュアンスがなくなってしまっています。
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で、このニュアンスが問題です。それを正確に説明するのは、アメリカ人かそれに準ずるような人でもなければ多分無理ですが、あえて類推すれば、「善良な市民が乗るようなクルマでそんなことをしたなんて」というような感じではないかと思います。これが仮に「シボレー」だったら善良の塊のようなキャラクターはないので、ベンが笑うことにはならないのではないか‥。
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日本でもし「卒業」の焼き直し版をつくったとして、ここにあてはまるのはたとえば「スズキ」なら可能かと思います。日本において善良な大衆車の鏡のようなクルマです。ただしちなみにロビンソン夫人の「フォード」は、いろいろ換算すると1948年型よりは古いはずです(映画公開は1967年)。その「フォード」は旦那のロビンソン氏所有のクルマだったようなので、アメリカとはいえ若者が終戦後すぐの時点で新車を持っていたかどうかということも考えると、戦後型として颯爽と登場した1949年型よりも間違いなく前、場合によっては戦前の1930年代のモデルの可能性もあり、エンジンはV8だったかもしれず、スズキのような小型車ではありません。ただ、1920年代まで全米中で親しまれたT型のイメージがフォードにはまだ生きており、健気でよく働く小型車というイメージが色濃くあったかもしれません‥。
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《 立派な建物(邸宅?)を前にした1946年型フォード。これはステーションワゴンですが、「ロビンソン夫人のフォード」は、こんな感じのフォードだったのかも 》
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《 それよりもう少し古い1940年のフォードの生産ライン 》
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《 これはさらに前の世代の1936年型フォード。1940年代後半頃にはこのぐらいの年式のモデルはけっこう走っていたのではないかと思います。いかにも実務的なファミリーカーという雰囲気 》
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《 さらに古い1932年型フォード。「アメリカングラフィティ」に出てくる有名なホットロッドも1932年型。大衆車でありながらV8エンジンを搭載した初めてのクルマであり、戦後の若者にもなじみ深い存在だったはず。まだT型フォードの面影が少し残る感じ 》
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ロビンソン夫人は子どもができて結婚しなければならなくなったために、芸術を学んでいた大学をやめることになり、今では夫との生活に極度に倦怠しており、ベンとの情事に及んだのもそのためでした。夫のロビンソン氏はアメリカで成功した人物として絵に描いたような人物ですが、若干俗っぽさもあり文化的素養はおそらくそれほどあるわけではないタイプとして描かれているようです。ただし、基本的にはアメリカ社会の優良な市民と見受けられます。そしてかなりの富豪ですが、かつてフォードを乗り回した青年は、成功して財をなした今や、リンカーン(フォードの上級ブランドの最高級車)に乗っています。このリンカーンはよほどのクルマ好きでもないと判別しにくい形で、画面に出てきますが、この映画が自動車の配役について、的確に選択されていることがうかがえます。だから件の「フォード」の会話も、注目するに値すると思います。
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(「卒業」 原題The Graduate/製作年 1967年/監督 マイク・ニコルズ/製作 ローレンス・ターマン/製作国 アメリカ/配給 ユナイト)
《 「卒業」のなかでロビンソン氏のリンカーンが写るシーン。ロビンソン夫人ともエレーンとも会えなくなったベンは、秘かにロビンソン家の前までクルマで行ってバックミラーごしに、その家族を眺めます。クルマを拭いているのがロビンソン氏で、その後方に立っている女性がおそらくエレーン。このクルマは1967年型リンカーンで、フロント部分だけがクルマのピラーにじゃまされるような形で映っています。もう1シーンだけこのリンカーンが映るシーンがありますが、そのときはここで見えていない、ボディの後ろ3/4だけが映ります。いかにも思わせぶりで、アメリカの観客なら辛うじてわかる程度のある種臨場感のある見せ方によって、かえって大型ボディの高級車リンカーンの存在感が強まっているようにも思えます。また、ミラーのすぐ左側には路上駐車しているクルマの一部が見えていますが、これはマスタングです。画面内の瑣末の部分ですが、この狭い幅のスペースに、マスタングの最も特徴的な部分がくるように意図して車両を配置したのはおそらくは間違いなく、フォードが制作に協力しているとはやはり考えにくいですが、なにか背景があったのだろうかと思いたくもなります。さらに瑣末にこだわると、ミラーの右端にはロールスロイス(ベントレー?)がこれもわずかに見える位置で映っていますが、この直後のシーンではロールスの駐車位置は変化しており、やはり意図してこの画面ではここに置いたのではないかと思います。ロビンソン邸は高級住宅街にあり、この通りには、ほかにもリンカーンが路上駐車されていたりします。キャデラックが目につくところには出てこないようですが、それもちょっと興味深いことです 》
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《 映画のなかで出てくるのは1967年型のリンカーンで、1967年型は1966年9月に導入されているので、出たばかりの最新型を映画に起用したのではないかと思います。この写真は1961年型で、少しボディが異なりますが似ています。テールフィンなどなく、すばらしく趣味のよさ、高品質さを感じさせます。リンカーンはキャデラックよりも堅実でモダンな高級車という存在でした 》
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ちなみに「卒業」で有名なのはもちろん、アルファ・ロメオの赤いスパイダー・デュエットですが、それも裕福でハイセンスな家庭で育ったベンが乗るにふさわしいクルマとして選択されています。もっともエンジン音がアメリカンV8になっているのは、アメリカの観客向けに入れられた音ということでご愛嬌でしょうか。この赤いオープンのアルファの配役は今の感覚で見るとステレオタイプ的ともいえる、あきれるほどのはまり役ですが、余談ながら、最後のシーンで出てくる丸いリアビューが印象的なGMCのバスこそ、この映画に出てくる本当の「主役のクルマ」のようにも思え、それも計算しているとしたら、この映画の自動車のキャスティングは大変うまいのではないかと思います。
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マスタングやエクスプローラーならともかく、"ふつうのフォード"というのは、本当に大衆車で、なかなか絵にはなりません。シボレーなどは、GMの中の大衆車ブランドでも、ロックンロールの歌詞に出てきたり、キャデラックに準ずるほど文化的に風物詩化されています。ベーシックの鏡であるフォードよりも、後発でもっと色気があるクルマとして登場したのがシボレー・ブランドだったという背景があります。フォードを映画で使う場合、よけいな記号性のない大衆車として活用していることが多いような気もします。
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何の気もないアメリカの平凡が、日本人にとってはエキゾチックに思えたり、ときには憧れにもなります。かつて1950〜60年代頃には、圧倒的憧れの的であった(自動車を筆頭にした)アメリカ的生活様式も、今では隔世の感はありますが、アメリカは今でも滋味深いよいものはつくり続けているわけです。そのひとつがフォードなのでしょう。フォードは日本から撤退しますが、グローバル企業の典型として世界での展開はもちろん続いていきます。むしろ日本がフォードから撤退した、のかもしれません。日本からフォードがいなくなるのは残念ですが、外国へ行けば、どこででもフォードに出会うことができるというのがせめてもの救いです。
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(レポート・写真:武田 隆)